羽のひしゃげた蝉だから

羽化し損ねた蝉を見たことがあるだろうか。半透明な体は歪に歪み、潰れた羽は重石のようである。脚をカサカサといわせて、さも苦しげに地を這う姿。 まさしく、這う這うの体で。後は死を待つだけといったその姿は、今の自分の生き様に似ている。

夏に思う

7日目で蝉は死んでしまうし、7本の向日葵は密かな恋の暗示らしい。
幸運の数字と夏が合わさると、何故だか寂しい。

そもそも夏の終わりも、真夏の夕暮れもなんとも心細い気もする。

案外夏は寂しい季節なのだ。

それどころか人生のいかなる時だって寂しい。

 

夏は電車で遠出がしたくなる。もちろん一人旅だ。

平日の日中、車内がほとんど貸切になるような辺鄙な所へ向かう。

日常に囚われず、誰のことも思い出さずに揺られる。

読書の間に、気まぐれに窓が切り取る景色を見るだけ。

もし誰かをこの手で殺したら、私が切符を買うだけで、どこまでもどこまでも遠くへ、共に行くことができるのだろうか。

 

本当は、海を見たり、星を見たりしたいのだ。

私を馬鹿にしない人と一緒に。

 

蝉は今年も姦しく蝉を呼ぶ。

夏が終わる前に子孫を残さなければいけないから。

夏を過ぎ行く人は寂しい。

人生はどうしたって長すぎる。